「普遍」という言葉には、いろいろな解釈があるようですが、子どもに“変わらずそうあること”を教えてくれて、それをすんなり受け入れさせてくれるのは、両親ではなくて祖父母くらい年の離れた人だったりするそうです。
僕は田舎にありがちなおばあちゃん子で、3歳くらいから小学校にあがるまで祖母と布団を並べて寝ていました。
寝床で眠れないでいると、祖母がいろいろな因習めいた話をしてくれます。
「夜の蜘蛛をあやめてはいけない」
「夜、爪を切ると親不幸者になる」
「玄関の敷居に乗ったら大けがをする」などなど。
いずれも、理由は「罰があたるから」。
じゃ、誰から?
神様だったり、妖怪だったり。
僕は両親が同じような話をしてもあんまり信じたりしませんでした。
それはたぶん、なるべく早く寝かせようと、いたずらを辞めさせようと、「~しないと、お化けが出るよ」って言ってるのが子ども心にわかったから。
祖母の場合、祖母自身も信じてることを孫に伝えてるだけだから、聞いてても本当に思えちゃったんでしょうね。
祖母から聞いた因習の数々は今でもたくさん覚えてます。
ときどき、「あー、これしたら罰あたるんだよなー」と思い返したり。
昔の方は、こうして子どもたちに、「怖れ(おそれ)」を与えていました。
「怖がらせる」ってことじゃなくて、「怖れ敬うもの」が世の中にあってそれに触れないように正しく生活しなきゃいけないんだよってことです。
僕の田舎にはそんな普遍的な「怖れ敬うもの」がごろごろありました(笑)。
その最大のものが「闇」ですね。
今にも襲ってきそうな「真っ暗」っていうのがいちばん怖かった。
僕の子どもたちは、おじいちゃん、おばあちゃんのいない環境で育ちました。
彼女たちにとっての「怖れ敬うもの」はなんなんだろう、とふと思います。
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