←第1話:心で触れ合えなかった0歳時代
忘れもしません。
息子が1歳5カ月の、とある雪の降った日。
児童館に向かう途中で、息子はベビーカーから降りたい歩きたいと激しく泣き叫びました。
それまでも何度かベビーカーを拒否することはあり、そのたび無理矢理ベビーカーに押し込んでいましたが、今回はなんだか壮絶で、降ろさなければこのままベビーカーごと這って行く勢いがありました。
しぶしぶ降ろすと、おぼつかない足で、歩道をうろうろ。危なっかしくて、手をつなごうとしました。
…が、激しく振り払われ、イラッ。
「人がくるよ。はじっこに寄ろう」
「イヤーーーーー!!!!」
この世の終わりかと思うくらいに叫びます。
「児童館いくよ」
「イヤーーーーー!!!!」
息子は階段を見つけ、上ろうとしました。
その階段は、溶けた雪が踏まれて黒くビシャビシャになり、髪の毛や埃も落ちているような状態。まだ両手をついて上ることしかできない息子には、今日はそんなことさせたくありません。
「階段は今日はダメ!ほら、あっちにいくよ!」
手を引こうとしても絶叫して振り払うので、苛々しながらも私は傍観することにしました。
息子は、その汚れた階段に素手をつき、ダウンコートの胸を真っ黒にしながら這うように階段を1段、上りました。
もう1段、さらに1段上ったとき、息子がこちらを振り返って私の顔を見ました。
その息子の表情は「ホラ、できたよ!!」という、得意満面の笑みでした。
そのとき、私は……
しかし、私はそのとき、どうしたか。
息子が振り返ったと同時に、その笑顔を確認するより早く、『きたない』と、ベビーサインで示してしまったのです。
そのときの、息子の顔は忘れられません。
息子は初めてするような泣き方で、鼻をすすりながら今度は手が直接つかないように、手首の袖の部分を階段につくようにして上ろうとしました。
が、それではうまく力が入らず上れずに、本当に悲しそうに泣いていました。
その息子の姿を見て、私も罪悪感と、誰かに助けを乞いたい気持ちで泣きながら、息子を抱えてベビーカーを押し家に引き返しました。
家に帰ってからも、コートを脱いだのに玄関から上がろうとせず、寒い玄関で傘を持ち遊びたいとゴネました。
これが、イヤイヤ期なの?
私は呆然としました。これが、イヤイヤ期の始まり?
魔の2歳児ってこれよりもっと激しいの?
ベビーサインで意思疎通ができるようになってやっと0歳の闇を抜け出たと思ったのに、またあんな気持ちの日々が始まるの?
そんなのはいやだ、もっと息子と楽しく過ごしたい、私も他のお母さんみたいに息子といるとき笑っていたい、息子が可愛いって思いながら過ごしたい。
でも、どうすれば良いの…?!
私は途方に暮れました。
関わり方を意識的に変えてみることに
それから育児書を貪り読み、すがるようにネットサーフィンしてたどり着いたのが、「保育士おとーちゃんの子育て日記」というブログです。(記事末尾の【参考記事】【関連サイト】参照)
ここで書かれている子育てのお話は、私が「こんな関係を子どもと築きたい」と描く理想そのものでした。
私の理想は、子どもが可愛いと思えて、一緒にいる時間が楽しくて(苛々することより笑うことの方が多くて)、お互いを思いやれる関係。
ブログの文章も心にすっと入っていくので、気づけば明け方まで記事を読み込んでいました。
そして、次の日からそのブログで得た知識を参考に、息子への関わり方を意識的に変えていくことにしました。
→第3話:1歳の子どもと気持ちを共有するために
【参考記事】
【関連サイト】