【連載】チアママQ[36]
最近、NHK「みんなのうた」などで話題の『デッカイばあちゃん』をご存知ですか?
小学6年生のウクレレ少年・近藤利樹さんの曲ですが、実のおばあちゃんとの交わりが切々と心に染みる一曲です。
【参考記事】明るい曲なのになぜか泣ける! NHK「みんなのうた」放映中の『デッカイばあちゃん』
その昔は、おばあちゃんに育てられたという子どもも多かったのですが、生活環境の変化もあり、祖父母と孫の交流自体、少なくなっているのでしょうか。
おばあちゃんの知恵的なことが、子どもにいい影響を及ぼすこともありますよね。
というわけで、「おばあちゃんと孫」についてmama記者のみなさんに伺いました。
実母と義母がおしえてくれたこと
子どもたちのおばあちゃん…母と義母にから教わったことについて、2つお伝えします。
①母から教わった、まだ話せない赤ちゃんとのコミュニケーションの仕方
産後、里帰りしているときのことでした。
おっぱいを飲み終わった新生児の息子に対して母は「うん、うん、おいしかったの」などと話しかけている姿にびっくりしました。
私はそんな風に話しかけることすら思いつかず「そんなん、赤ちゃんが答えるわけないじゃん!」などと本気で思っていました。
私はただ目の前に抱いている未知なる生物が今どんな状態か、授乳終わったからげっぷさせなきゃ、オムツ濡れたからかえなきゃ、ガーゼはどこだ、などと物理的な世話のことばかり考えてそれをこなすのに精一杯だったのです。
母が「お腹いっぱいだねぇ」と言った直後に息子が「ンク」と声を出したので、母は「わ!お腹いっぱいだって!」と笑いました。
2人を育てた今だからこそ、私もそんな風にアテレコ?をして赤ちゃんと楽しくコミュニケーションをとる事ができますが、当時の私は「いや、言ってないし。クーイングだし」などと思ってイラつくほど頭がガチガチでした。
産前、育児書などで物理的な世話の仕方の知識は頑張って得ていたけれど、赤ちゃんとどんな風に接するかを全く知らなかったんだなと今では思います。
②義母から教わった、こどもの味方になるということ
義母は、嫁である私の前でも、夫らわが子のことを謙遜したりはせず、堂々とほめます。
こどものころはこうだった、今は(も)こうだ、というエピソードはいつも、わが子たちへのリスペクトを感じます。
第一子妊娠中、義実家で食事をしていたときに夫のこども時代の話になり、「夫が小さいころ習っていたスイミングスクールで、準備体操のろきから終わりまでコーチに従わず、ブスッとした顔つきのままプールサイドに座っていたことがある」というエピソードが出ました。
この話のオチとしては私はてっきり、「頑固だったね」とか「見ててハラハラしちゃった」とか言うのかなと思いましたが、義母たちは
「きっと何か、◯◯(夫)なりに腑に落ちないことがあったのよね」と話を締めくくったのです。
わが子が皆と同じことをせず、コーチの指示にも従わないのを見たとき、私はこんな風に考えられる親になれるのだろうか、とドキリとしました。
「なんでやらなかったの!」と責めず、こどもの気持ちに思いを馳せられる親になりたいと強く感じました。
今でも時々、このときのことを思い出しては、自分の気持ちをわが子に押し付けてしまう自分を反省しています。
mama記者・レトロ
長女に厳し過ぎる!?
長女は、小さい時からできることが多かったので、できるだろうからと、つい厳しく叱ってしまいます。
反対に次女は自由人で、できないことばかりだったため、期待する気持ちがない分、厳しく叱ることが殆どありませんでした。
この対応の違いは自分でも日々反省していますが……
実母から、「長女に厳しすぎるよ」と言われてハッとしました。
私も2人姉妹の長女。
母には厳しく叱られた記憶があります。ほめられた記憶はほとんどありません。
でも、一緒に住んでいた祖母から叱られた記憶はほとんどなく、いつも優しかった。
核家族の今、厳しく叱るだけでなく、優しくほめたり、できたことを評価する祖母の役割も親が担わなければならないんだなぁと思います。
長女と次女、2人の子育てに、反省する毎日です。
mama記者・misa
おばあちゃんの言うことは素直に
先日、私自身が同窓会に参加するため、実家に上の子だけつれて一泊二日で規制したときのこと。
私が外出中は母が遊び相手や、食事のお世話、寝かしつけなどしてくれました。
息子が好きなテレビ番組を録画しておいてくれて見せてくれたり、空き箱などをとっておいてくれて息子と工作をしてくれたり。箸の持ち方を教えてくれたり、ひらがなの練習も一緒にしてくれたようです。
普段パパママが教えていてもなかなか覚えられないのに。
母のいうことなら素直に受け入れられるのか、もしくは子育て経験があるから母の教え方がうまいのか……理由はよくわかりませんが、息子は素直に受け入れ身につけてくれました。
帰省中、私がほぼ外出していたので、母と二人で楽しい時間が過ごせたようで、帰る時間が近づいてくると口数が減ってきてしまい、最後は「寂しいよー」と泣き出してしまった息子でした。
楽しい貴重な時間を過ごせてくれたことに感謝です。
mama記者・Rei
ルールにも”遊び”がなくちゃ
大正生まれで、太平洋戦争では子どもたちを守りながら生き抜いてきた私の祖母(母の母)は、それはそれは厳しい人でした。
母の実家は自営業で、母も仕事を手伝っていたので、日中は、厳しい祖母と穏やかな祖父と過ごしていました。
祖母は私に、たくさんのことを教えてくれました。
サンダルを履いた足で家に上がってはいけない(必ず洗ってから)/布団をたたむときは、頭の部分に足の部分がつかないようたたむ/食器を洗うときはお湯を使う/そのへんに寝転ぶときは頭(顔)の下にタオルを敷く/風呂のあと、床に水滴があったら必ず拭く/靴下は洗濯機に入れる前に予洗いする
……まだまだありますが、一度言われたことを守れないと「ほれ、また言うことを聞かない!」と怒られたものです。そのたびに、祖父が、まぁまぁ、と仲を取り持ってくれました。
今、私が子どもたちにうるさく伝えていることは、考えてみれば祖母からの教えばかり。
それを見た母が、「そんなに毎日うるさく言ったら可愛そうよ、そこまでしなくてもいいんじゃない?」とポツリ。
私は思わず、「お母さんのお母さんが、私に厳しく言ってきたことだよ。お母さんも言われてきたんでしょう?」と強い語調で言い返しました。
すると、母は、「そうかな、私も言われてたのかな? 毎日毎日、うるさく言われてると、聞こえないのよ。聞かなくなっちゃうの。このままだと、あなたの子どもたちも、聞かなくなっちゃうよ。程々にね」と。
確かに、今、子どもたちは私の小言は「右から左へ」状態が増えてきました。
最後に、母は言いました。
「あなたはね、コレ!と決めたことをなんとしてでも守りたいみたいだけど、自分も相手も人間なんだから、ルールにも”遊び”がなくちゃ。たまにはできない日もあるし、たまにはあえて破る日もあるでしょ。守る日があるから、破っていい日もあるんだってこと、教えてあげなくちゃ」
子どもたちに、「ルールを守る」ということを覚えさせようと毎日必死になっていた私には目からウロコ。と同時に、「遊び」があってこその「ルール」なのかもしれない、と初めて気付かされた出来事でもありました。
Cheers! mama編集部・みうらよしえ