私が指に巻いている絆創膏をみつけると、
「ママぁ? いたい? いたい?」
「うん、痛くなっちゃったんだ。飛んでけ、してくれる?」
「いたーいいたーい! …っけぇっ!」(痛いの痛いの、飛んでけ!)
…こんなやりとりをするようになった近頃のむすめ(1歳9カ月)。
先日は、家具についた傷をなでながら、「いたーいいたーい! …っけぇっ!」を繰り返していました。
そうだね、きっとテーブルも痛かったよね。
(まぁ、傷をつけたのは、あなただけどね…)
また別の日には、加湿器から出ている蒸気に向かって「ばいばーい! またねー」と、ごあいさつ。
そうだね、蒸気はすぐに消えてしまうものね。
就寝前には、大切にしているぬいぐるみ1つひとつに「おやしゅみー、ばいばーい、チュッ」としてから寝室へ向かいます。
夜はみんな眠いよね、また明日、遊ぼうね。
こんなむすめの、ある夜の行動です。
今、いちばんのお気に入りの「となりのトトロ」のマグカップを持って「えーんえーん、ままぁ、えーんえーん」と泣き真似をしているのです。
私は、その理由を解釈できず、「どうしたの? 何で泣いてるの?」と聞いてみましたが、そのたびに、泣き真似。
しばらくこのやりとりを繰り返した後、「ここ! トトヨ(トトロ)、えーんえーん」と、マグカップを指さします。
むすめの指先を見てみると…
▲わかりづらいのですが、カップが少し濡れているんです。
どうやら、水をこぼしてしまい、その水滴が小トトロの顔に付いたようなのです。
よくよく、みてみると、水滴は、まるで小トトロの涙のよう。
そっか。
むすめは、「ママ、トトロが、泣いちゃったよ」ということを必死に私に伝えていたんですね。
「トトロ、泣いちゃったね、拭いてあげようね」と言うと、うれしそうに「うんっ!」と言い、ティッシュを持ってきてそっと拭いてあげていました。
この後、数日間は、乾いたマグカップを手にするたびに「トトヨ、えーんえーん、ないねぇ」(泣いてないね)と言っていました。
私ならどうしたでしょう?
「あーあ、こぼれちゃった」と、サッと拭いておしまいです。
水だからいいや、と拭くこともしなかったかもしれません。
こういったことが日々、何度も起こります。
私には見えないたくさんのものが、むすめの瞳には写っているようです。
いえ、きっと、30ウン年前の私の目にも、それらは同じような光景として写っていたのでしょう。
いつから私は、傷ついた机をかわいそうに思う気持ちや、消えゆく蒸気にまた会いたいと思う気持ちを失ってしまったのでしょうか。
1つ、何かを経験して事実や理屈を知るかわりに、1つ、まっすぐな物のとらえ方を失ってしまうのかもしれません。
それが、学習であり、成長なのですね。
遠くない未来に、むすめも、今のような、概念を持たない物のとらえ方をしなくなる日がくるでしょう。
それまでの限られた日々に、彼女が教えてくれるたくさんのことをできる限り見逃さないようにしよう、一緒に感じ取っていこうと、すやすや眠るむすめの顔を眺めながら、強く思う夜です。
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