あと2週間ほどで、2歳になる娘。
近い月齢のお友達のママが「イヤイヤ期がはじまったかも〜」なんて言い始めた頃は、まだぼんやりしていたので、「もしかして、うちの子はイヤイヤ期がないんじゃないかしら♡」……なんて思ったりしていたのですが。
あまかった。
それは突然、やってきました。
何を言っても、「イヤ!!!!」。
「あっち」というから、そっちに行こうとすると、「イヤ」。
「コレ食べたい」というから手渡すと、「イラナイ」。
服を着たくない、靴を履きたくない、帽子をかぶりたくない。
私の髪に触らないで。私の手を引いて歩こうとしないで。
ご飯を食べたくない。でもお腹すいた。
自分でやりたい。うまくできない。
遊びたい、でも、眠い。
欲求を満たすことが上手にできず、何事にもストレスがたまっているご様子。
悲鳴も、すごい。
泣き声も、すごい。
一般常識はいっさい通じず、大人の都合なんて、知ったこっちゃありません。
それが、二歳児。
それこそが、二歳児!!
あるの夜のことでした。
お風呂を終え、夕食を終えたあと、もう少し遊んだら、寝室へいって寝かし付けだな〜……なんていう21時頃。
「パジャマぬぐ! ぱしゃぱしゃ着る!」と、大騒ぎ。(ぱしゃぱしゃ=プール=水着)
なので、翌日、保育園に持参する予定だった赤い水着を出したら、
「ちがう! コレじゃない!」
と絶叫で号泣。
「かえるぅー! かーえーゆぅーーーー!」
かっ、帰る!? 急に!?
自宅にいるのに、この子はいったい、どこに帰るつもりんだろうとテンパる私。
ふと、目についた窓際に干された洗濯物。
そこには、親戚からお下がりでいただいた、カエルの水着が。
これかぁッ!
でも、いま干したばっかりだから、びしょびしょなんだけど…
「かーえーるぅー! これ! きーるのぉー!!」
こうなったら、もう何をしても、収まりません。
…ので、着せました。
びしょびしょの、カエルの水着を。
おむつと、下着と、Tシャツのうえから(むすめの要望)。
さらにこの後、「ママのぼーし、かぶるのー!」という要求が突如、追加され、こんな状態に。
▲ヒャッハー!!!
この格好で、1時間、遊びました。
もちろん、
服は、びっしょり。
身体は、冷え冷え。
でも、ご機嫌はすこぶる麗しく、22時半という遅めの時間になりましたが、幸せそうに眠りにつきました。
私の常識では考えられない、すべてが謎の行動でしたが、めでたし、めでたし…で、いいのかな。
いいのよね。
最近の私とむすめは、こんなやりとりばかりです。
「魔の二歳児」という言葉が苦手という声をよく耳にします。
かわいい我が子に「魔」なんて言葉は使いたくない!、という気持ち、よくわかります。
でも、私にとって「魔の二歳児」という言葉は、成長の中でものすごく不器用に自分の気持ちと向き合う子どもに翻弄される母の汗と涙と怒りと努力、 そして、深いふかい、大きな愛情が込められていると感じる単語です。
「魔の二歳児」という言葉でちゃかして、疲れた心を浄化しちゃえ〜っていうのも、もちろんありますが!
なんといったって、2歳前後の、つたない言葉で語りかけくる我が子は、気が遠くなるほどの可愛さ!
この日だって、むすめは、真っ暗にした寝室で睡魔を待ちながら、とつぜん、私の耳元で、「ままぁ〜、あいらびゅー♡」とささやいて、キスをしてくれました。
かあさん、悶絶。
っと、そうだった。
あなただって、ママやパパが嫌いだから、かんしゃくを起こすんじゃないんだよね。
自分がいちばん、つらいんだよね。
わかっていたつもりでしたが、改めて、むすめ自身に教わってしまいました。
まだまだ、しばらくはこんな風に、謎の行動をするむすめと、それを理解できない私との戦いは続くでしょう。
でも、きっとすぐに、笑い話にできるのでしょう。
いまだってもう、こうして顛末記を書いている私は、やり取りを思い出しながらニヤニヤしているんですから。
「笑いの種」を蓄積するために、いっちょ、「イヤイヤ期」「魔の二歳児」なむすめとしっかり向き合ってやろうじゃないか!
そんなことを思った、よるでした。
▲別の日。
なぜ彼女は、この格好がしたかったのか……
謎は深まるばかり……。
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