「どこまで、許していいの? どこまで、叱ったらいいの?」の前編・中編は以下からごらんください。
むすめに対して厳しく(強く)叱りすぎている自分に気づき、といって、いったいどこまでが「必要なしつけとして」の叱りなのか、どこを越えたら「いきすぎた怒り」なのかを見失ってしまった私。
実家でもワガママ炸裂をしていたむすめに、いつもどおりの
喝~ッ!!
を入れたあと、その私とむすめの姿を見ていた母に相談してみました。
「わたし、怒りすぎ? こんなにキツく叱るべきじゃないのかな」
母は、「うーーん」と思いを巡らすように天井をみつめ、しばらくして、ポツリと、
「そういえば、私も、おばあちゃんにいっつもいわれたなぁ。
こんな小さい子をそんなに叱ったって、なんにも伝わらないよ!、って」
おばあちゃん、とは、母の母、つまり、私の祖母です。
私の母も、私と同じように「ちいさな子どもを、そんなに叱るべきではない」といなされていたというのです。
少しずつ祖母の言葉を思い出しながら語る母の言葉をつなげてまとめてみました。
- 子どもは、泣いて喚いてを繰り返しながら、少しずつ物事を知っていくもの。
- 2歳や3歳の子どもが泣き喚いたり騒いでるのを見たからといって、大人は「悪し」と言うべきではない。子どもの大切な経験を奪うことになる。
- まだ「常識」を知らない相手に「常識」を振りかざしても理解できるはずがない。「ダメ」と叱る前に教えるべきことがある。
- 1度や2度、教えたからといって、次から子どもができるなんて考えは甘すぎる。10回20回言ったってなかなかできないことでも、いつかできるようになるまで根気強く教えてやるのが親の仕事。
- 大人がイライラすることを幼稚園くらいまでの子どもがしたとしたら、それは、子ども自身もうまくできなくてイライラしているはず。そこで叱ると、「大人の常識から外れたこと」を怒られているのではなく、「自分がうまくできないこと」を怒られたと思って成長を止めかねない。
- 幼稚園までの子どもがわざと悪いことをするのは、おふざけの延長。そんなのにいちいち負けるな。一緒に楽しんであげなさい。
- 小学校に入るころには、自然と、物事の善し悪しを感じ取る力がついてくる。間違って感じ取っていたら、直してあげればいい。この歳になって、わざと悪い方を選択するようなことをしたら、その時がはじめて「ガツン」と叱るとき。
祖母はたいへん、厳しい人でしたが、私は祖母のことがほんとうにほんとうに大好きでした。
そんな祖母の声が聞こえてくるような、この言葉たち。
おばあちゃんの言わんとすることは、すべてが納得のいくものです。
おばあちゃんが、さいきんの私とむすめの姿を見たら、きっと、すごく怒るんだろうな…。
でも……「頭では、わかってるけど、イライラするんだもん…」こう返答しようとした私に、母が先手を。
「わかってるのよね~、ママも。でもさ、毎日いっしょだとイライラするよね~」
そっか、お母さんも、同じだったんだね。
お母さんも、今の私と同じように悩み、イライラし、祖母に怒られながら、小さな私を育ててくれたんだね。
こんなふうに、育児について悩んだときには、「ママ」としての大先輩である母に話を聞いてもらえるのは本当に心強いことだと感じました。
先日のお義母さんからの言葉。
この日の母の言葉。
それから、母から届いた祖母の言葉。
先輩母さんたちのすべての言葉は、私の心のなかにしっかりと刻まれました。
だからといって、急に優しく穏やかでバランスのとれたママになれるかというと、もちろん、そんなに簡単なことではありません。
ですが、今まで、大きな声で10回叱ってしまっていたことが、今では、
- むすめの心に寄り添う努力をすること3回
- 交換条件でうまく気持ちを切り替えさせること3回
- 少し叱ること3回
- 大きな声で叱ること1回
……くらいには、なったように思います。
祖母のことばのなかでも、
- 幼稚園までの子どものする「わざと悪いこと」はおふざけの延長。
- 物事の善し悪しがわかるようになる小学生になって「わざと悪いこと」をしたら、その時が、はじめてガツンと叱るとき。
私の心には、この2つが、すごく、すごく、響きました。
自分の子供時代のことを思い返しても、確かにそうだったように思えるからです。
折々でアドバイスしてくれる母と義母の言葉と、今は直接聞くことができなくなってしまった祖母からの大切な言葉の数々を、むすめとの関係にうまく活かしていけるような、そんな「私らしい育児」を見つけていきたいと思います。
▲わたしたち、きっともっと「いいおやこ」になれるよね!
※編集部注※
本記事は、Cheers! mama編集部・三浦のブログ『ママのまいにち、わたしのまいにち。〜チアママ編集長のブログ』より、反響の大きかった記事を再編集して掲載しております。