←第3話:1歳の子どもと気持ちを共有するために
ブログ「保育士おとーちゃんの子育て日記」で学んだことを活かし、私は息子との関わり方を変えていこうと決めました。
幼児でも、分かると思って接していれば本当に分かってくれる(ようになる)
「子どもだからまだ分からない」
私はあらゆる場面でそう思うことがありました。
けれど息子と色々な気持ちを共有して過ごしているうちに、息子も私の気持ちを知ろうとしているのが分かってきました。
なので、こっちへ来させたい、帰宅したいなどの場面でも「そっちはお化けが出るよ」「今こないと夕飯なしだよ」などと本心でないことを言う代わりに、
- 「そっちは危ないからこっちで遊ぼうね」
- 「夕飯の準備をしなくちゃならないからもう帰る時間だよ」
と正直に伝えました。
息子が困ったことをしたとき、誤摩化してその場をしのげそうなことでも、「真剣に言えばいつか伝わる、ぼんやりとした善悪の区別は感じてもらえる」と信じて、
- 「お母さんは、そういうのは好きではない」
- 「息子のことは好きだけど、そういう事をするのはお母さんは困る」
と伝え続けました。
人の迷惑にならなければ、自分から止めるまで、こちらに来るまで、信じてひたすら待ち続けることもありました。
わかりづらい説明は、絵本の言い回しを使ったり、ままごとでわざと困るようなことを実演してみたり。
それはそれは、疲れました。イライラもしました。
でもイライラした分、息子の気持ちがよくわかるようになるのも事実で、それがモチベーションとなりました。
笑い合うことの心地よさ
息子と毎日向き合っていると、だんだん、私たちは同じようなことを面白いと感じて友達同士のようにふざけ合うようになりました。
これは私たちにとっては、大きな変化でした。
2歳3カ月頃、一緒にシール貼りをしていて、息子が向こうを向いている隙に私が自分の鼻にシールを貼って、息子が気付くまで平然としてみました。
私の顔を見た息子が、「あれ~~?? なんじゃこりゃこりゃ~~~??」とおどけたように言ってからケラケラ爆笑し、「おかあさん、おもしろーい!」と言ってくれました。
おもしろいと言ってくれたのは初めてで、私はその時ばかりは母親の肩書きが外れただの「私」として、息子と一緒に笑っていました。
こういう雰囲気になったのは初めてでした。
今まで息子にしてやれなかったことがようやくできた、これから先こういう時間をたくさん持とう。
昨日までやっていることは変わらないのに、二人の空気感や関係性は確実に変わっているんだと思うと嬉しくてたまりませんでした。
親である自分が嫌だと思えば、それを素直に伝えて良いのでは
乳幼児相手では、叱り方が難しい、どこまで厳しくすれば良いのか分からないなど、叱り方の悩みは尽きません。
まだ一児しか育てておらず育児を3年かじっただけの私の考えではありますが、「叱る」というより「教える」方が先なのかなと思っています。
例えばフェンスによじ上っている子どもに、「こら!ダメでしょ!」と叱るより、そこは上るものではないことを知らないようならそれを教えてあげる。
大人でも、よかれと思ってしたことを「なんでこんなことするの!」と頭ごなしに叱られたときに「だってそんなこと知らなかったんですけど」と思った経験はあると思います。
- 「そうなら最初から見えないところにしまっておくか、そう教えておいてほしかった」
- 「こうしようと思った理由だけでも聞いて欲しかった」
……と。
直ちに危険が及ぶこと・周りに迷惑がかかることは否応無しに制止するとして、まずは知らないことを知らせてあげる方が子どもにとってはありがたいことなのではないかと思います。
私的な生活のことや言葉遣いなどでは、親である自分が嫌だと思うなら、それを素直に「お母さんはそういうのは好きじゃないんだ」と伝えれば良いのではないかなと思っています。
親の快不快が基準で、「そういうのは好きじゃない(例:そんな苛々した声で言われても嫌な気持ちになる)」と伝えた上で、「だからこうしてほしい(例:普通の声で○○してちょうだいって言ってほしい)」と教えれば良いのではないかと。
最後に。これからどうなるかは分からないけれど……
関わりかたを意識してから、息子と共同生活は、信じられないほどラクになりました。
けれどそれは、息子が大人の顔色をうかがい期待にこたえようと頑張る「よい子」という訳ではなく、子どもらしく奔放な面を持ちつつも、親が不快だと示したことに対して理解しようとする姿勢があるように思えます(親バカですかね^^;)。
もちろん、こちらが、それは不快だと示したことに対して「でも◯◯(息子の名)はこれ大好きなんだもん!」等と反発することはあります。
でもそれはそれでいいと思っています。お互いがお互いの気持ちをまず知ることが大切だと思うので。
また、反発してくるのは、親が怖くてよい子をしているのではない(親子の力関係が一方的ではない)のだと思えてほっとします。
それくらい、息子の感情的な言動に対しても余裕が持てるようになりました。
もちろん本気でイラッとすることは今でも色々ありますが。
もしかしたら息子は、思春期になって爆発したり非行に走るかもしれないし、これからどう育って行くのかは誰にもわかりません。
けれど、ひとつ確信しているのは、親である自分が子どもを「可愛い」と思えていることが、親自身の子育てに対する自信につながり、それが子育てに良い循環をもたらしたということです。
そしてその「可愛い」子どもの姿は親のはたらきかけ次第でどうとでもなること、一度「可愛い」と思える関係を築けたらどんどん状況が良くなっていけることを、あの頃の私がもっと早く知識として知っていれば…と息子には申し訳なく思います。
あの時してやれなかったあたたかい親子の時間を、いつか息子が私の手を離れるまでは目一杯楽しもうと思います。
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